篠脇城址
 標高523mの篠脇城址は長良川の支流、栗巣川の南岸の丘陵ピークに位置し、東氏館跡庭園に登山道入り口がある。正和生和元年(1312)東氏により築かれたと伝えられ、東西と北側は断崖になった要害の地で構築されている。近くには「古今伝授の里」や妙建神社もあって寄り道したい場所だ。東氏記念館には篠脇城の模型もあって出発前に寄ると山歩きが楽しくなる。
   
 東氏館跡庭園から篠脇城址 篠脇城跡 
所在地MAP 地図リンク
 ルートの紹介
加子母にある高時山を急遽変更して、東海北陸自動車道をひるがの高原SA付近まで来ると大日ヶ岳が大きく見え始め、右奥には白山が美しい姿を見せてくれた。荘川ICから国道156号線を郡上へ引き返し目的の篠脇城址へ向かう。

途中帰雲城ゆかりの城跡でカモシカに出合いながら徳永の信号から栗巣川沿いの道を10分も行くと東氏館跡庭園に登山口があった。小さな城だが、東氏がおよそ230年間にわたり居城としていた篠脇城があった所で、標高は523m、登山口には表門跡の礎石も残っている。しばらくジグザグの道を上がって行くと、曲り角に石仏が置かれ大手道からは竪堀が何本か見られる。

35分も登って行くと本丸に出た。スペースは思ったより広く、出丸との堀切もハッキリ分かる。構造は山頂の本丸の南に出丸、北に二の丸と城郭を囲む放射線状の竪堀が特徴的だ。途中東氏の家臣団の屋敷があった妙見集落を一望できる展望所があって、この時期タムシバの真っ盛りの季節で美しい。
           
     
 篠脇城本丸  篠脇城本丸 山上のショウジョウバカマ 
           
 二の丸の西北に行ってみると城の飲料水だった井戸があって、今でもきれいな水が湧き出ていた。

篠脇城の領主としては歌人・東常縁が知られている。応仁の乱の余波で美濃郡上を留守している間に、かっての歌仲間だった斉藤妙椿に攻め奪われてしまったが、妙椿に和歌十首を送ったところ返歌と一緒に城も領地も返してくれたというのだから当時の文化意識は大変ものだ。
庭園に「堀川の清き流れをへだてきて住みがたき世を歎くばかりぞ」他十首の和歌が彫られた歌碑があった。フキノトウが芽を出している東氏館跡庭園を見物して帰宅。
           
   
 大手門通り 城の飲料水だった井戸 
   
 展望所から妙見集落 登山道 
     
 歌碑 東氏館跡庭園  篠脇城址登山口 
 
           
   
 ひるがの高原SAから大日ヶ岳 ひるがの高原SAから白山 
   
 出会したカモシカ  カモシカ